仏教は学ぶものか…

 ネット上で、とある仏教講座の広告が掲載されていました。
 仏教に人生を学ぶ、仏教を生活に活かす…現代人にとって魅力あることかと思います。
 でも、仏教を学んで、それを生活や仕事に活かすという触れ込みにちょっと疑問を感じるのです。
 もともと仏教の目指すところは「さとり」です。悩みや苦しみからの解放です…それは自身の執着を捨て去ることそのものです。
 そのためにそもそも仏教教団においては仏道修行を行ったのであって、その修行の妨げにならないように出家したのです。
 出家とは家を出ることであり、それはそのまま社会から出ることでもあります。
 仏教は社会規範でなく仏法に則って生きることを説き、ある意味社会を捨てる教えです。
 その割には、托鉢などして市井の人から食事をもらうとは何事だ…でも、修行で求めるのはさとりのみ。ですからご飯を作ることも、食材を育てることも仏道には関係無いのです。ただ生きていないとさとりを開くことが出来ないので、食事を取るというだけのことなのです。
 托鉢で食事を受けることが出来なかったら、その日の食事はどうするのか? 食べません…食べるものがないのですから。何日も食べられなければ…さとりに至らぬまま死を迎えることになります。
 仏教って出家って、これ程までに厳しく、シンプルで、ある意味清々しいものなのです。
 だから、どうも仏教を生活に活かすという表現に引っ掛かるのです。
 私自身は俗世間にドップリはまって暮らしている出家ではない僧侶です…浄土真宗の僧侶は皆そうだと言えるかも知れません。
 そんな立場でも、どうしても仏教を学び、仏教を活かすという表現に抵抗感があるのです。
 仏教は自らが縁あって出遇い、そして頂くもの…それに尽きるのではないかと思います。 
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