言葉がマズイかも知れません…

 誤解を招くかも知れません。その点は最初からお詫び申し上げます…申し訳ありません。
 浄土真宗では「御念仏一つですくわれていく」と申します。どなたにも異論は無いと思います。一方で浄土真宗では「このお札あれば一発で解決!」といった他宗派を軽んずる傾向があるように思うのです。
 しかしながら、どうもこの二つの教えの違いが浄土真宗門徒・僧侶の中でハッキリしていないように感じます。
 「御念仏一つですよ」「御念仏あるから有り難い」「御念仏申しましょう」…この言葉を聞くと皆安心するのですが、この場合の念仏とお札の違いがどうもよく伝わってきません。
 「お札を自分の欲望を叶えていく手段」と受け止める。
 また「御念仏申して安心する。御念仏によって今の自分を肯定する。今の自分は大丈夫だ、大丈夫なんだと確信する」ように、御念仏を 自己満足を得る為の手段とするならば、お札と御念仏の違いは感じられません。
 御念仏は、南無阿弥陀仏つまり「阿弥陀様にお任せします」の意味ですから、自己満足どころか、『自分はホント何ともならんのです』の告白であり、そこに自己への囚われから離れ、阿弥陀様を依り処として生き抜く人生が始まるのです。
 お念仏申して「安心する」とか「ホッとする」という自分の感情はやっぱり厳しく吟味し、チェックしていく必要があると思うのです。

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