ものの見方…

 昼間に歴史番組をチラと見ましたら、薩摩藩の島津家を取り上げていました。
 島津家と言いますと、私ら真宗僧侶は「念仏弾圧」(浄土真宗の信仰を禁じ、信仰を捨てぬ者を拷問などで責め立て、殺害したこと。摘発された門徒は最大時14万人以上にも上ったそうです)を行った殿様というイメージがあり、あまり好感を持っておりません。
 しかし、鹿児島では島津家が今も愛され続けているとのこと…そう言えば「かるかん」から薩摩揚げ、島津製作所まで「○に十文字」の島津家家紋が至る所に今も使用されています。
 なぜだろう…。
 今までずっと阿弥陀如来の前では、生きとし生ける全てのいのちは尊い」という教えが、当時の封建体制にそぐわないから…。当時の真宗門徒は団結力が強く、しばしば一向一揆を起こしていたそうです。これが権力者には嫌われたからだと教えられ、そう思ってきました。
 ただ、実は門徒による本山への懇志の上納により、多額のお金(金・銀等)が藩外へ持ち出されてしまうため、藩の財政を圧迫することを恐れたから」ではないか? 1800(寛政12)~1810(文化7)年まで、本山本願寺では御影堂の大修復を行いました。修復費総額1万1千両の内、約1割を南九州の秘密講で請け負ったということです。薩摩藩には500万両の借財があり、そのことが天保の念仏大弾圧に繋がったのではないかと言う考えもあるそうです。
 封建体制においては、平等を説く浄土真宗の教えが邪魔であることは他の藩でも同じだったでしょう。また藩外へ藩の財産が流出することを恐れたのはやはり他の藩も同じでしょう。
 でも、念仏が弾圧された島津藩、そして念仏が解禁されていたお隣の髙鍋藩や熊本藩、その差は一体どこにあったのか、今も決定的な理由は分かっていないそうです。
 物事は本当に多面的に見なくてはダメなんですね。思い込みが一番良くありません。知ったかぶりも…反省しなくては…。

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