仏教は学ぶものか…

 ネット上で、とある仏教講座の広告が掲載されていました。
 仏教に人生を学ぶ、仏教を生活に活かす…現代人にとって魅力あることかと思います。
 でも、仏教を学んで、それを生活や仕事に活かすという触れ込みにちょっと疑問を感じるのです。
 もともと仏教の目指すところは「さとり」です。悩みや苦しみからの解放です…それは自身の執着を捨て去ることそのものです。
 そのためにそもそも仏教教団においては仏道修行を行ったのであって、その修行の妨げにならないように出家したのです。
 出家とは家を出ることであり、それはそのまま社会から出ることでもあります。
 仏教は社会規範でなく仏法に則って生きることを説き、ある意味社会を捨てる教えです。
 その割には、托鉢などして市井の人から食事をもらうとは何事だ…でも、修行で求めるのはさとりのみ。ですからご飯を作ることも、食材を育てることも仏道には関係無いのです。ただ生きていないとさとりを開くことが出来ないので、食事を取るというだけのことなのです。
 托鉢で食事を受けることが出来なかったら、その日の食事はどうするのか? 食べません…食べるものがないのですから。何日も食べられなければ…さとりに至らぬまま死を迎えることになります。
 仏教って出家って、これ程までに厳しく、シンプルで、ある意味清々しいものなのです。
 だから、どうも仏教を生活に活かすという表現に引っ掛かるのです。
 私自身は俗世間にドップリはまって暮らしている出家ではない僧侶です…浄土真宗の僧侶は皆そうだと言えるかも知れません。
 そんな立場でも、どうしても仏教を学び、仏教を活かすという表現に抵抗感があるのです。
 仏教は自らが縁あって出遇い、そして頂くもの…それに尽きるのではないかと思います。 

収骨の作法

 少し前になりますが、遠方までご葬儀のお勤めに参りました。
 火葬場での御収骨に立ち合ったのですが、その火葬場では大部分の御遺骨を箸を使って骨壺に収骨したあと、最後にお顔部分の御遺骨をお近い親族の方のみが収骨する形でした。
 で、その際の火葬場の方の収骨の説明は「お顔の部分の御遺骨は故人様にお近い方で、『素手』で収骨なさって下さい。または、お箸を用いて頂いても結構です」と…。
 私は「お~」と声を上げそうになりました。これは正に現代版・収骨版の踏み絵だなあと感じたのです。
 僧侶は収骨に加わることはまずありません(…合掌をしている、読経をしているから? 収骨迄ご一緒しないこともあるから? はっきりとした理由は分かりませんが、親族として参ったのではない葬儀にて、今まで私は収骨をしたことがありません。私は特に素手では嫌だとかの感覚はありませんが)。
 ご家族・親族が収骨をされるのは自然だと思いますが、お骨を素手でと言われたら、抵抗のあるお方もいらっしゃるのではないかと思います。例えば今まで確執のあった御家族とか…御遺骨に一切触れたくもないという気持ちのお方も存在するのではないかと思うのです。
 『箸ならまだしも…素手で…え?…でも他の人は素手で収骨しているし、私だけ箸を使うことは出来ない…でも…どうしようか…』
 この火葬場では毎日、多くのお方のそんな気持ちの逡巡が繰り返されているのではないかと感じたのです。箸を用いたことで後に親族での揉め事に発展した…なんとことは全くなかったのでしょうか?
 お勤めさせていだいた御家族はそんな悩み・思いなど全くないように、皆さん普通に素手で収骨していらっしゃいました。
 私の考え過ぎかも知れません…でも、葬儀というご遺族ご親族にとってのとても大きな儀式にて、こんな苦悩を生み出してしまう「素手か箸か」の選択を迫るのはどうなんだろうと思いました。
 あなたはどうお感じになりますか?

節度…

 会館から目撃した光景です。会館前にお店があるのですが、その前を高校生達が駅に向かって帰って行きます。
 中で、二人組が他の学生とは違う、お店の駐車場を横切る方へすたすたと歩いて行きます。
 あれ、店を横切っての近道だろうか…でも、少し開いていた柵の切れ目はずいぶん前に小さな扉が出来ていて塞がれてるのに…知らないのかな。このままだと結局遠回りになる… って! え?
 あ、なんと慣れた手つきでお店の通用扉を開けて通っていく…しかも後ろに続いた学生は扉を…閉めることもなく、そのまますたすたと行ってしまいました。
 あまりに自然な、あまりに素早い行動にある意味見とれてしまいました。
 でも、やっぱりいけませんよね。
 お店とはいえ、他人の所有物です。お客でもないのに、駐車場を横切り、勝手に扉を開け放っていく…その結果、小さな子供がそこを通ってお店に出入りする車に轢かれでもしたらどうするつもりなのでしょう。
 いえ、その学生達は多分何も考えていないのでしょうね。ちょっと近道した…それだけのこと。当たり前のこと。特に早く行けてラッキーとも思っていないでしょう。
 もう少し、周囲のこと、自分の行為…考えましょうよ。そしてそれが結局自分の生き方を変えていくのです。
 今回ちょっとだけ近道したことが、人生にとっては随分遠回りをする結果になるのかも知れませんよ…。
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