皆それぞれ…

 今まで、いろいろなお方とお会いしてきましたが、それなりの時間お話ししたり、一緒に行動したことのあるお方の中で「癖の全くない」方は居なかったような気がします。
 そう言ってる私がこういう「癖」を持っているわけですから…間違いないと思います。
 確かに「この人はスゴイ」と思うお方にお会いしたことも多々あるのですが、やはり人間性全体を見ると「あれ? 何で? それは止めた方が良いのではないですか?」と感じる部分があったりするのです。
 結局、皆同じ人間だということです。非の打ち所がない人間なんていないんですね。これこそ当たり前の事なんですね。
 だから皆仲間…御同朋御同行なんですよね…皆が同じく阿弥陀様にすくわれていくしかない身なんですよね。有り難いことです…。

電波時計…

 電波を受信して自動で正確な時間に修正してくれる電波時計は便利な物です。
 でも電池が減りましたら、「電波を受信しました(…時刻を修正しました)」マークがなかなか出なくなりました。なんでも『電波を受信するにも電池を使う』ようなのです。ですから、あまり電池が減ると、時刻は表示されていても正確ではない という電波時計らしくない普通の時計に変わってしまうのだそうです。
 これは私達の「喜び」「楽しみ」にも共通する気がします。喜び・楽しみも味わうのに自分自身の努力(力)を必要とするのです。その力の内にはお金ということもあるのでしょうが、やはり、「本当の喜びはお金で手に入れることは出来ない」ようです。
 「喜びを必死になって手に入れる…そうでないと喜びを感じ味わうことが出来ない」
 ここにまた苦しみが生まれるのですね…ああ、人間とはかくもメンドくさい存在なのです。
 喜びを求める心から離れる、そのような心を手放す…そこにこそ本当の安心が安らぎが生まれるようです。
 ここのところを仏様は教えて下さっているのですね。
 そして仏のおすくい…南無阿弥陀仏は頂くのには全く我が力を必要としないのが事実です。にも関わらず念仏を頂こうとしない、逃げまくっているのが私の真実の姿でした…。

お参り先で…

 私がお参りに伺った際、私が玄関に入るとすぐに玄関の内鍵をお掛けになるご家庭が複数軒あります。私には少し驚きがあります…「ああ、閉じ込められた!」ということではありません。
 私など、お参り先のご家族からすれば部外者であって、ハッキリ言えば「坊さんである」ということ以外、どこの馬の骨かもわからない存在のハズです。
 にも関わらず、私を招き入れて下さった上で、それ以外のお方の侵入を拒む…私を信用・信頼して下さっておられることを実感するのです。「私なんて、それ程信用出来る存在ではありませんよ。お家の物を盗ったりはしませんが、ただそれだけのことですよ」と申したくなるくらいです。
 でも、それだけ僧侶は無条件で信用されていることに身震いするのです。ああ、この方の思いを裏切ってはならないと緊張するのです。
 内鍵を掛けられた瞬間に私が驚き、緊張するのにはそういう思いがあるのでした…。
 あと、確かにお参りを終えて失礼する時に、私がすぐに玄関の鍵を開けられなくてちょっと困ったりしたことがあるのも事実なのですが…それは蛇足でした…。

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