久しぶりにお会いしました…

 嬉しい出遇いでした…朝、寺の壁におりましたよ、クワガタ君が…。
 おお、何年ぶりに見たことか…懐かしいです…嬉しいです。ちゃんと写真も撮りましたが、世には昆虫が嫌いなお方が存在し、そのお方からすれば歓迎出来ない夜台所で散歩する例のアレと区別がつかない(例えばウチの坊守・娘)ようなので写真はアップしません。
 とてもアゴが小さかったのでメスだと思いましたが、近くの神社の森まで行って逃がしたあと、もしかしてアゴが極めて小さいオスだったかも知れないなと考えを変えました。私の昆虫経験からすると、メス特有のずんぐり感、腹厚感が足りなかった気がします。
 本当は写真(写りは小さいのですが…)で詳しいお方に判断して頂きたいところですが、そういった事情で写真をご紹介出来ません…残念です。
 もう一度、写真で検討してみます。
 あ、今回のブログの趣旨は 実はまだ自然が残っていたんだという喜びの表現ですので…分かりにくくてすみません。しかし神社の森は、一歩足を踏み入れただけで空気が冷んやりしていました。ああいった森が多ければ38℃とかの気温が測定されることもないんでしょうね…。

正義

 皆が一番大事にしているのが正義でしょう…「正しい義」です。何より大事です.命に代えても守らなければなりません。世界中にはそのように考えている人がたくさんいます。皆がそうであるが故に争いが絶えないのです。
 そして、実はこの「義」の中に「我」の文字が入っていることに気付きました。はは~ん…これだな、原因は。義の中に我がいる…私が正しいと思う私の義が正義なんだ…そう思いました。
 なる程と思われませんか?
 で、義の文字を辞典で調べましたら、我は…私の意味じゃなかったのです。我は「ぎざぎざのノコギリの象形」なんだそうです.そして上の部分はなんと「羊」でした。「羊を生け贄としてのこぎりで殺す」ことが義なんです…そこから、厳粛な作法に則った振る舞いの意味になったのだそうです。
 義…要らんですね。恐ろしいし…義は持たない方が良いです。
 なんとこんな恐ろしい、残酷な意味の言葉を私達は大切にしていたんですね。
 私の正義はとにかく要らんです…良く分かりました.実感しました…。

障害者殺傷事件

 19人殺害という戦後最大の大量殺人事件が発生しました。

 容疑者は「知的障害者がいなくなればいい」という思いを募らせた上での犯行だったようです。

 極めて偏った思考です。

 この容疑者の「知的障害者にどれだけの税金が遣われているか」という意見には「今回のあなたの犯行で警察、救急、医療関係、裁判、拘置等でどれだけの税金が遣われたか、又遣われるか」と反論したいと思います。

 「知的障害者は要らない」のであれば、「介護を必要とするお年寄り、身体障害者も要らない」ことになります。そしたら、「将来そのような立場に置かれる可能性がある故に、先手を打つ意味で 容疑者も私も要らない」となります。

 その思想の半歩先が「私に気の入らない人間は要らない」社会です。


 ただ、この容疑者は大麻等で精神を病んでいた可能性が高いようです。「刑事責任能力」というものが問われることになるかも知れません。

 好青年であったと言われていた容疑者が、どのようにしてこのような残虐な事件を引き起こすことになってしまったのか…裁判を通じて私達もしっかり見つめていかなくてはならないと思います。

 一番の悪は、「私に関係無い(=無視)、知らなかった(=無知)」と言う我が態度かと思います。

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